■東成瀬村の赤牛の飼育は、ホルスタイン雑牛が始まりでしたが、県の指導で村の気候風土に適している「日本短角牛」を紹介され、明治40年頃導入されました。
■昭和10年頃からホルスタインが姿を消し、短角牛が主となり、昭和11年、東成瀬村短角牛放牧組合を組織しました。
■昭和27年には岩手県や鹿角方面から牛を導入したため昭和30、40年代には100頭以上となりました。
■放牧場としては「焼石自然放牧場」、「柳沢放牧場」、「長倉沢放牧場」の3箇所がありました。「焼石自然放牧場」は地形、草資源とも最適の場所で、放牧された牛の群れは暑くなるにつれ、焼石岳の八合目まで上り焼石沼付近ですごしたようです。各牧場とも毎年の「放牧式」は村の一大イベントであり、放牧式後には雄二頭がボスの座を争う「角合わせ」もありました。昭和43年、畜産事業の発展のために畜産振興会を開催したほか講話会や研修会なども行われました。同年の農業近代化ゼミナールの席上で「東成瀬村は畜産において秋田県のスイスに当たる」と言われたほど村の気候風土は放牧に適していたのです。昭和44年、「夏山冬里方式」の先進地として県内外から多くの視察者が来村し、一躍畜産の先進地となりました。その後、牛肉の激しい価格変動などの影響で畜産農家が激減、一時途絶えていたのですが、近年健康志向の高まりの中、村では平成24年度から「赤べごの里」再生と畜産業の6次産業化に取り組んでいます。
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